顔を水につけて息を止めると、それだけで心拍が下がり始めます。潜水反射(水に顔をつけると心拍が落ちる、生まれつきの反応)といって、こちらが意識してやることは何もないんです。もっと深く潜れば脾臓が縮んで血を送り出しますし、肺は水圧で小さくなっていきます。水面に浮かんで魚を眺めているだけなら、ここまでのことは起きません。
「何メートルから素潜りですか」という質問をよく見かけるんです。深さで線を引こうとすると、たぶんいつまでも決まらないはずです。分けているのは、息を止めたかどうかのほうだと思います。顔をつけて息を止めた瞬間に、もう別の遊びが始まっているわけです。
なので海に行く日に効いてくるのは、呼び名を覚えることより、息を止めた体に何が起きるかを知っておくほうだと思います。
- 顔をつけて潜った瞬間、別の遊びになります。 呼び名ではなく、息を止めたかどうかが境目です
- 潜る前の深呼吸はやらないでください。 苦しさの警報だけが遅れて、気づかないまま酸素が尽きます
- 交代で潜って、片方は水面で見ていてください。 いちばん危ないのは、水面まであと数メートルの場所です
まず、実務的な区別
| スノーケリング | スキンダイビング | フリーダイビング | |
|---|---|---|---|
| 何をする | 水面に浮かんで下を見る | 息を止めて数m潜り、また浮上する | 息こらえで深さ・距離・時間を追求する |
| 主な滞在域 | 水面 | 水面〜おおむね5〜10m | 10m以深も範囲に入る |
| 器材 | マスク・スノーケル・フィン | 同左+ウエイト | 同左+ロングフィン、ブイ、ランヤード(ブイと体をつなぐ命綱)等 |
| 訓練 | ほぼ不要 | 耳抜き・浮上の基本 | 体系的な講習が前提 |
| 体に起きること | 潜水反射はほぼ起きない | 潜水反射が起き始める | 潜水反射・脾臓収縮・血液シフトが本格化 |
呼び名の定義は国際的に統一されていません。PADIはフリーダイビングを「ひと息で潜り、途中で浮上しないエクストリームスポーツ」、スノーケリングを「気楽なアクティビティ」と対置しています。では、表にある「潜水反射が起き始める」とは、何が起きることなのか。
素潜りとは、スキンダイビングとは、どれのこと?
「素潜りとは」と調べる方へ。素潜りは日本語の総称で、器材なしで息を止めて潜ること全部を指します。上の表ではスキンダイビングとフリーダイビングの両方にまたがり、魚突きも含みます。「スキンダイビングとは」マスク・スノーケル・フィンで数m潜って戻ること、「フリーダイビングとは」その延長で深さや時間を追うこと、「シュノーケリングとは」潜らずに水面から見ることです。
「シュノーケリング」と「スノーケリング」も、同じものの2通りの書き方です。公的な文書は「スノーケリング」で、沖縄県の条例は「スノーケルを用いて、遊泳すること」と定義しています。県警の届出一覧も「スノーケリング業」です。店の名前は「シュノーケル」が多数派なので、探すときは両方で引いてください。
① 顔を水につけた瞬間、心臓が遅くなります
人間には哺乳類潜水反射が備わっています。息を止めて顔を冷たい水につけると、心拍数が落ち、手足の血管が締まり、血液が体幹に集まります。酸素を脳と心臓に優先配分する、アザラシやクジラと共通の仕組みです。
Anderssonらが空気中で息を止めた場合と顔を水につけて息を止めた場合を比べたところ、心拍の低下は21%から33%へ、血圧の上昇は34%から42%へ、いずれも強まっていました。
Compared with apneas in air, apneas with face immersion augmented the heart rate reduction from 21 to 33% (P < 0.001) and the blood pressure increase from 34 to 42% (P < 0.05). — Andersson JP, et al. J Appl Physiol 93(3):882-886, 2002
顔をつけるだけで反応が1.5倍になります。スノーケリングで水面に浮いている限り、この反射はほとんど働きません。顔をつけて、息を止めて、水に入っていきます。その動作自体が、体のモードを切り替えるスイッチです。「フリーダイビングは水中でリラックスするスポーツだ」と言われるのは精神論ではなく、心拍を落とすことがそのまま酸素の節約になるからです。
② 脾臓が縮んで、血が濃くなります
息こらえを繰り返すと、脾臓が収縮して貯蔵していた赤血球を血流に放出します。輸血に近いことが体内で起きます。Schagatayらの研究では、脾臓を持つ群で反復息こらえによりヘモグロビン(赤血球の中で酸素を運ぶたんぱく質)が3.3%上昇し、息こらえ時間が17秒(30.5%)延びました。脾臓摘出者では、この変化が起きませんでした。複数の独立した研究で、脾臓の容積は2割前後縮むと一致しています。1本目より3本目が楽なのは、気のせいではありません。 ウォームアップの息こらえは、体を潜水仕様に切り替える工程です。
③ 深く行くと、肺に血が流れ込みます
水圧で肺は圧縮されます。単純に考えれば、ある深さで肺は潰れてしまうはずです。そうならないのは、血液が胸郭内に押し込まれて肺の容積を埋めるためで、これを血液シフトと呼びます。Schaeferらの1968年のScience論文は、実際の潜水中に胸郭内の血液量を測り、水深27mで約1,047mL、40mで約850mLの血液が胸に集まっていたと報告しています。「深く潜ると胸が締めつけられる感じがする」という体感には、この実体があります。
④ 脳は、最後まで守られます
息が続かなくなるのは脳の酸素が足りなくなるからだ、という説明があります。これは、少なくともエリート選手においては正しくありません。Willieらはエリート息こらえダイバー17名を測定し、動脈血の酸素含量が40〜50%落ちているのに、脳血流が同じだけ増えて脳への酸素供給量は維持されていた、と報告しています。息こらえが終わるのは、脳が酸欠になったからではありません。終わらせているのは主に二酸化炭素の蓄積による呼吸衝動です。横隔膜がけいれんし、「もう吸わないと」という強烈な感覚が来ます。苦しいですが、体を守っている警報です。
⑤ なぜ「ハイパーベンチレーション」が人を殺すのか
潜る前に何度も深呼吸を繰り返すこと(過換気)は、息が長く続くようになるので良いことだと思われがちです。これは、警報器の電池を抜く行為です。過換気で減るのは二酸化炭素であって、酸素ではありません。血中の酸素はもともとほぼ飽和しているので、深呼吸を重ねても増える余地がほとんどありません。呼吸衝動は二酸化炭素で起きるので、「苦しい」が来るのが遅れるだけで、酸素は増えていません。苦しくないまま酸素が尽きます。
LindholmとLundgrenは競技ダイバー9名に最大息こらえ(平均284秒)を行わせ、終了時の肺の酸素分圧(肺の中の酸素の濃さ)が131.7mmHgから26.9±7.5mmHgまで落ちたと報告しています。うち2名は運動制御を失い、その時点の値は19.6と21.0でした。意識を保てる下限は25〜30mmHg付近とされます。
そして、浮上が最も危ないです
潜降中は水圧で肺の中の酸素分圧が押し上げられているため、体感としてはまだ余裕があります。ところが浮上すると圧力が下がり、肺内の酸素分圧が急落します。
During breath-hold diving, the risk of hypoxic blackout increases on ascent as arterial oxygen saturation falls below the threshold for consciousness. — StatPearls, Shallow Water Blackout
水面まであと数メートル、というところで意識を失います。 しかも本人には前触れがありません。これがフリーダイビングで「絶対にひとりで潜るな」「必ずバディ(一緒に潜って水面で見張り合う相手)が水面で待て」と言われる理由のすべてです。意識を失った本人は自力で浮上できません。隣にいる人間だけが、助けられます。手順はブラックアウトの記事にあります。
で、結局どう区別すればいいのか
- スノーケリング … 水面に留まる限り、潜水反射はほぼ起きません。過換気の危険も、浮上時ブラックアウト(意識を失うこと)のリスクも基本的にありません。ただし、そこから「ちょっと潜ってみよう」と思った瞬間に、話は次の段に移ります
- スキンダイビング … 潜水反射が働き始め、耳抜きが必要になります。数メートルでも息こらえは息こらえで、浅い場所でのブラックアウトは実在します。バディの原則はここから適用されます
- フリーダイビング … 脾臓収縮も血液シフトも本格的に関与する領域です。だからこそ、体系的な講習と安全手順が前提になります
この記事でいちばん伝えたいことは、「浅いから安全」ではないということです。区切っているのは深さではなく、息を止めているかどうか、そして隣に誰かいるかどうかです。
この記事で確認できなかったこと
- Craig AB Jr.(1961)の原典(過換気による意識消失の古典的研究。全文が有料で引用できず)
- 残気量に達する深度(「水深30〜40m」という一般値を査読論文で直接確認できず)
- NOAA・米海軍等、公的機関による定義の原文
次の一歩
読んで納得しただけでは、次に海に入ったときの行動は何も変わりません。
- 次に海へ行く相手と、交代で潜ると決めてください。 片方が潜って、片方は水面で見ている。それだけで死亡事故のほとんどは防げます
- 潜る前の深呼吸をやめてください。 仕組みは息止めの練習はなぜ危ない?に書きました
- 見てくれる人がいる場所を1つ見つけてください。 下の「近くの練習会を探す」から、自分の都道府県を選べます
海で守ることは3つだけです。それさえ持っていれば、水面から下は、いくらでも面白い場所です。
本記事は査読論文および指導団体・DANの公開資料に基づく情報提供であり、医学的助言ではありません。息こらえのトレーニングは必ず有資格のインストラクターの指導下で、一緒に潜る相手とともに行ってください。
